七十年代、雑誌の取材で札幌、小樽へ行きましたが、函館は初めてです。
とは言え、函館ゆかりの方と二十代からお付き合いをしておりましたから、函館は縁遠い土地ではありません。
函館ゆかりの友人の名は長谷川元吉といい、映画のカメラマンをしており、主に吉田喜重監督作品を手がけておりました。
彼のお父様は、小説家、長谷川四郎です。このお父様の兄弟、四人を人は、函館が産んだ長谷川四兄弟と呼び、そのユニークな生き方は伝説となっております。
この兄弟の長男が長谷川海太郎と言い、いくつものペンネームを使い分け、作品を残しております。
その中でも林不忘の名で世に出した「丹下左膳」は映画になり、「鞍馬天狗」と人気を二分するヒーローでした。
ところが元ちゃんは、「丹下左膳」を書いた林不忘が、父の兄弟で、伯父であることを知らなかったのです。
まぁ、昭和十年に林不忘こと長谷川海太郎は亡くなっておりますから、知らなくても当然なのでしょうかね。
この長谷川四兄弟の父親、元ちゃんの祖父は、北海道新聞の主筆を務め、後に函館新聞を立ち上げ、社長と主筆を兼ね、反骨のジャーナリストとして活躍した方です。
元ちゃんが書いた父への想い「父、長谷川四郎の謎」、手にとってみたい方はこちらで。
http://www.junkudo.co.jp/detail2.jsp?ID=0102632248
そんなエピソードがある函館ですが、着いた日の夜は、「花かるた」で人肌のお酒を飲みながら、いつしかカラオケとなっておりました。 |